作者は無教会キリスト者。中央大学経済学部3年生の時(1944年)に学徒出陣し、配属された中国河北省東巍家橋鎮(とうぎかきょうちん)の駐屯部隊で、杭に縛った捕虜を刺突する「訓練」が行われた時、信仰上の理由から拒み、上官らから激烈なリンチを受けた。
その時の連作短歌が冒頭にあり、続いて女スパイへの拷問、戦友脱走、無差別掃討作戦の作品が続く。本の後半では、召集から終戦、復員までの体験が時間軸に沿って置かれている。
巻末には、青山学院大学で行われた講演会の一部が収録され、戦場で日本兵が行った行為が語られる。
「村という邑(むら)、町という街を一軒残らず焼き払う「儘滅作戦」の三昼夜、又戦闘終了後の掃討では老若男女を問わぬ皆殺しを認(み)ることとなった。命乞いがあろうと、抗日を叫ぼうと、眉間に銃弾を撃ち込む皆殺しである。略奪強姦は、兵隊同士が互いに見張りをし、獣欲を果たせば撃ち殺し、隠れていた老人が火達磨(ひだるま)になって逃げ出してくれば、さんざめきの中に銃を撃つ。先祖伝来の家を目の前で焼かれ、一族の眼間(まなかい)で娘や妹が強姦されてあげくの果てには銃殺される、誰が忘れ得よう。一族かたみに語りつぎ、孫子(まごこ)の代迄忘れることは無いだろう。」(p245-246)
また、作者と同じ無教会キリスト者の父は信仰(反戦)の故に逮捕され、残された一族は近郷の町村民から凄まじい差別をうけ、村八分となった。(p203より)
もし戦場の初年兵で、捕虜虐殺を命じられたのが私だったらどうするだろうか。あるいは、残された女ばかりの家族が差別を受けると分かっていながら、逮捕を覚悟して反戦活動をすることができるだろうか。考えさせられた。
捕虜虐殺を拒み、慰安婦の列に並ばず、戦場では敵から銃弾をそらして敵を殺すまいとし、戦地の子供たちに薬を与えたりした作者だが、それでも戦場での行動に自責の念を感じている。
「捕虜虐殺の際、自らは神の御導きにより虐殺を拒みえたが、ただそれだけの事で、汝殺す勿れのみ教えを上官にも戦友兵士にも一言も説かなかったばかりか、女密偵の拷問、焼土作戦後の掃討行動における略奪強姦老幼を問わぬ殺人を目にし乍ら、口を緘(と)じ制止さえしなかった。出征に当って父が諭してくれた「行動のない信仰思想良心は先細りだぞ」を踏まなかったのです。」(p249)
中国人に酷いことをした日本兵、作者にリンチをした日本兵、作者の家族をいじめた日本人…、そうした人びとが生きている間は、彼らを責める声を上げにくい。例えば自分の祖父に向かって「人殺し」とはとても言えないだろう。
しかしすでに世代が変わり始めている。戦争を直接また間接的に知る人は減り、歴史の教科書でしか戦争を知りえない世代が増えていく。まさに今、私達の子供達へ「加害の歴史」を伝えることができるか、問われているのではないだろうか。
捕虜虐殺およびリンチのときの歌
言うもならぬ現実(うつつ)ぞいまし演習に新平(へい)十人は一人を刺して
祈れども踏むべき道は唯ひとつ殺さぬことと心決めたり
すべもなきわれの弱さよ主(しゅ)の教え並(な)みいる戦友(とも)に説かずたちいつ
血を吐くも呑むもならざり殴られて口に溜(たま)るを耐えて直立不動
かほどまで激しき痛みを知らざりき巻ゲートルに打たれつづけて
激しい歌が並ぶ中、私が最も心を打たれたのは、出征時の母との別れに際しての歌だった。
声細め生命いたわれと言う母の瞳に雲も雪も映れり
歌人吉野秀雄は、短歌の存在理由は「いきなり読む者の胸の奥底を貫徹するひびき」「端的な迫力」にあると著書『短歌とは何か』で述べているが、まさにそういう短歌がここにある。マイナーではあっても、読み継がれる歌集であってほしい。
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