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2008年9月

「アーミッシュの赦し」を読みました

台風のせいでしょうか、暑い日が続いて辛いです。
さらに稲刈りでグッタリです。

今日はこの本を紹介します。
敬称略で失礼します。「赤字」は引用です。

アーミッシュの赦し―なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか Book アーミッシュの赦し―なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか

著者:ドナルド B.クレイビル
販売元:亜紀書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ご存知の通り、
2006年10月2日「ペンシルベニア州ニッケル・マインズ近くのアーミッシュ学校」で銃の乱射事件があり、
「女生徒5人が即日死亡、さらに5人が重症を負った」事件がありました。
この本にも書いてある通り、僕にとっても、
「事件そのものより、それに対するアーミッシュの反応のほうが衝撃的」でした。

その時の「アーミッシュの反応、とりわけ、殺人犯への赦しと、その家族に示された恵み」がこの本のテーマです。
アーミッシュがとった行動についての疑問、
「あの悲劇の後、彼らは具体的にどんな行動をとったのか?赦すことは、彼らにとってどんな意味をもつのか?赦すよりも復讐することが当たり前のような世界にあって、一体どんな文化的土壌があれば、こうした対応がとられるようになるのだろうか?」
等についての考察です。

アーミッシュの赦しに対する批判も取り上げています。
「その場に相応しい感情の欠如、悪への運命論者的な態度、悔悛しない罪人も進んで赦してしまうこと、他者に代わって赦しを与えてしまうこと、しかもその迅速さ」

そもそも人を赦すとは?どうしたら赦すことになるのか?口で赦すと言えばいいのか、心から赦すまでは赦したと見なされない?
「赦しに値しない極悪行為は存在するか?」ホロコーストとか…。

また、「学校乱射事件のとき、神はどこにおられたのか?」それに対するアーミッシュの考えは?

これらの答えは、実際に本を読んで下さい。
知りたいことに対する答えがぎっしり詰まっている本です。
2500円ですが、買う価値はあります。
買えなければ、図書館に行きましょう。
図書館になければ、購入してもらいましょう。
素晴らしい本なので、きっと購入してくれると思います(僕も、購入してもらいました)。

最後に、一箇所だけ引用します。
アーミッシュの許しのルーツは何か?という質問に対する「28歳のアーミッシュの工芸家」の答え…
「『アーミッシュの赦しは、キリスト教の赦しです』と答えてから、一瞬間を置き、声を強めて言った。
『〈違う〉んですか?』」

とにかく、アーミッシュの恵みに、圧倒されました。
圧倒されすぎて、どんな風にこの本を紹介していいのか分からず、逆に伝わらなかったかもしれません…coldsweats01

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森山直太朗「生きてることが辛いなら」

お久しぶりです。

たぶん色んなところで書かれているとは思いますが、僕も書きます。

森山直太朗の「生きてることが辛いなら」が、コンビニで放送規制とのこと。

驚きました。
不思議です。なんでそうなったのか、が。

この曲を放送禁止にしようと“思って”“言い出した”人がいて、
その意見に“賛同”して、“実際に”コンビニ店内で放送をしないこと。
その人達に、この曲をわざわざ放送禁止にするだけのどんな“熱意”があったのか。

不思議です。
じゃあ、「エロ本はいいのかと思いませんか?
僕は別にエロ本を置くなと言っているのではありません。
歌はダメだが、エロ本はいい、という“熱意”が不思議なんです。

でも、もしかすると、放送禁止にしたコンビニでは、エロ本も置いてないのだろうか?
もしそうなら、ごめんなさい。

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遠藤周作「深い河」を読みました

今日はこの本を紹介します。
敬称略で失礼します。赤字は引用です。
結末にも触れます。

深い河 (講談社文庫) Book 深い河 (講談社文庫)

著者:遠藤 周作
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

妻の死から立ち直れない人、戦争の辛く暗い記憶を持つ人、
人を愛せない人、鳥にのみ心を開くことの出来た人、
彼らがそれぞれの目的と共に、同じツアー客として、
インド、ガンジス川へ旅行し、“転生”を知る、という話です。

遠藤周作が70歳の時の作品です。
著者の他の本をあまり読んでいないのに敢えて言いますが、
彼のイエス像は、若い頃から一貫しているのではないでしょうか?

たぶんイザヤ書53節からだと思いますが、
この本には以下の部分が何度も引用されます。

彼は醜く、威厳もない。みじめで、みすぼらしい
人は彼を蔑み、見すてた
忌み嫌われる者のように、彼は手で顔を覆って人びとに侮られる
まことに彼は我々の病を負い
我々の悲しみを担った

これが遠藤周作のイエス像だと思います。
この本の主人公の一人、大津(ツアー客ではない)が、まさにこのイエス像そのものとして描かれています。
不器用で不細工で、弱々しく、自信がなく…、しかし、人の苦しみを背負う人物として、です。

その大津に、こういうセリフがあります。
「ぼくはヨーロッパのキリスト教を信じているんじゃありません、ぼくは…」
「日本人の心にあう基督教を考えたいんです」

“ヨーロッパのキリスト教に対する日本のキリスト教”という問題、
遠藤周作の作品によくでてくる、重要な問題だと思います。

大津の好きなガンジーの言葉…
「さまざまな宗教があるが、それらはみな同一の地点に集り通ずる様々な道である。同じ目的地に到達する限り、我々がそれぞれ異った道をたどろうとかまわないではないか」
また、大津自身が、神学校の口頭試問でこう言います…
「神は色々な顔を持っておられる。ヨーロッパの教会やチャペルだけでなく、ユダヤ教徒にも仏教の信徒のなかにもヒンズー教の信者にも神はおられると思います」
神学校の校長に、「それでは君はなぜ仏教徒に戻らない」のかと聞かれた時は、たまたま「基督教の家庭」だったからと答え、改宗も「ありうる」ことで「それぞれが自分に相応しい異性を結婚の相手に選ぶのと同じ」と言う。
…こういった考えゆえに、大津は神学校や修道院から追い出されます。

著者は、キリスト教に、ヒンズー教、仏教のテイストを混ぜて、
日本人にあう宗教にしたのでしょうか。
とはいえ、この本を読む限り、日本人がキリスト教を受け入れる必然性は感じられず、
仏教、神道で十分だと思えてきます。
「なぜ仏教徒に戻らない」のかと、僕も大津へ問いたい。
著者が、自分の考えを大津に重ねていたとすれば、
著者自身、クリスチャンになったのは偶然で、
仏教でもヒンズー教でも、偶然その家庭に育ったのなら、その道から神へと向かえばいい、と思っていたのかもしれません。
もしそうなら、著者にキリスト教を伝道しようという意図はないはずです。
そういう意味では、三浦綾子の著作と遠藤周作の著作はかなり違うし、
ゆえに読者層も異なるのではないかと思いました。

ただ僕は、正直なところ、そういう考え方に共感も覚えます。
キリスト教徒以外が神を知らないとは、断言できません。
キリスト教徒以外は救われないとは、思えません。

ちなみに大津は、神父になります。
その部分の描写はありませんが、神父になっています。
解説者も見逃すほど、小さく、さらっと書かれていますが、
ここに著者の、キリスト教、またカトリックに対する信頼が表れている気がしてなりません。

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