三浦綾子

「塩狩峠」を読みました

お久しぶりです。
春が来てしまいました。
落ち着いて本を読めないような陽気です…。

久しぶりに本を読んだので、書きます。
敬称略で失礼します。
結末にも触れます。



塩狩峠 (新潮文庫)塩狩峠
三浦綾子著
新潮文庫

厳しい小説でした。
自分の罪を思い知らされます。

信夫(主人公)は
士族の子として祖母に育てられます。
祖母が死に、
キリスト者であるがゆえに祖母に嫌われ、
止むを得ず家を出ていた
母と、初対面の妹が帰ってきます。
母を慕う気持ちはあるのに、
キリスト教への反発もあり、
自分以外が教会へ行く日曜日、
信夫は留守番です。

その、キリスト教嫌いの信夫が、
父の死、
友の一家の夜逃げ、
青春のモヤモヤ
などを通して成長し、
ついにキリスト者となり、
さらに信仰を深めていく物語です。

信夫は
クソ真面目なだけに、
その成長もグングンと、
ジャックと豆の木なみです。
成長して成長して、
そして最後に、
他人のために、死んでしまいます。

そうです…
真面目に、
真剣に、
真摯に
信仰を深めたら、
他人のために死ねるようになるのです。
死ねなければ嘘です。
「からだの復活、永遠の命を信じます」と、
僕は毎晩、
使徒信条を暗誦している。
僕たちは信仰によって
永遠の命を手に入れることができるはず。

だから、僕の信仰はまだ、
嘘なのです。
使徒信条を暗誦するたびに
嘘をついている。

信夫が、
クソ真面目な信夫が、
いろんな罪を自覚していくごとに、
僕も罪を自覚させられる、
厳しい本でした。

ああ、
信夫さえ、
クソ真面目でなかったら、
自分の罪に気づかずにいれたのに。

信仰には、
一寸の遊びも
ないんだろうか…と、
考えさせられました。

でも、やっぱり
真面目な人がかっこいい、
とも思います。

どっちだや!typhoon



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「光あるうちに-道ありき第三部 信仰入門編」を読みました

本の紹介です。「 」内は引用です。

P1000479光あるうちに-道ありき第三部 信仰入門編
三浦綾子著
新潮社

第三部とありますが、第二部から続く自伝ではなく、
信仰についてのエッセイです。
人は「罪深く、弱く、愛がなく、不自由な、そして虚しい存在」
だけど、キリスト教を信仰することによって、
そこから脱出することができる、と説いた本です。
また、教会や、祈りについても触れられます。

なるほどなあ、と思わされつつ、
しかしスラスラと読み進めることができます。
その中でも僕は、終わりにある
「いかに祈るべきか」という章が、
特に心に残りました。
「『祈りはきかれない』という形で、きかれることもある」
ということが、いろんなエピソードを交え、
よく分かるように書いてあります。
クリスチャンではない人が、キリスト教を理解する
大きな助けになるのでは、と思いました。
また、「終章」の最後、
「聖書を読んでみませんか」
「教会へ行きませんか」
という呼びかけから始まる、
キリスト教への真摯な誘いには、
心が揺さぶられます。
是が非でも、何が何でも
クリスチャンになりたいと思わされます。

キリスト教専門の出版社ではなく、
新潮社から彼女の本が広く出版されていることが、
とても意義深いことのように感じました。
多くの人にお勧めしたいです。

最後に、長いですが、印象に残ったところを引用します。
「わたしたちにとって大切なのは、いつかは遂に死ぬ自分が、その日までどのような姿勢で生きるかということであろう。来る日も来る日も、食事の支度と洗濯と掃除のくり返しでもいい。いや、そうであっていい。ただ、いかなる心持で、それらをくり返すかが問題なのだ。家族が楽しく美味しく食事ができ、清潔な衣服を着て、整頓された部屋に憩い、しみじみと幸せだと思える家庭をつくる。それがどんなに大いなる仕事であるか、働きであるかを、考えてみることが必要なのだ。
 自分がこの世に存在するが故に、この世が少しでも楽しくなる、よくなるとしたら、それは大きなことではないだろうか。」
元々、「主婦の友」に連載されたものなので、
「主婦」を意識した文章があるのだと思いますが、
こういう心持で、僕も日々を過ごしたいと思いました。


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「この土の器をも-道ありき第二部 結婚編」を読みました

寒さが一段落し、あまり雪も降らず、
ちょっと残念です。
雪がたくさん降ると、
気分がゆっくりして気持ちがいいのに。

この土の器をも-道ありき第二部 結婚編
P1000472_2 三浦綾子著
新潮文庫

昨年末に「道ありき-第一部 青春編」を読んだ時、
続編があることを知ったので、読みました。
これは、青春編に続き、
著者が結婚した時から、
「氷点」が朝日新聞の懸賞小説に当選するまでのことが書かれています。

第一部に比べて、病が癒え、新婚ということもあり、
明るい雰囲気が漂っています。
著者の、雑貨店を開く商売っ気とか、
それなのに売値をいくらにしていいのか分からずに
お客さんに聞くところとか、
少し天然ボケな感じが素敵でした。

それにしても、
著者の夫である光世氏の信仰には、本当に頭が下がります。
光世氏の背広が、クリーニング店で盗まれてしまい、
「弁償させる」と怒る著者に対する、
光世氏の言葉です。
「聖書にはなんと書いてある。許してやれと書いてあるだろう。いいかい綾子、許すということは、相手が過失を犯した時でなければ、できないことなんだよ。何のあやまちも犯さないのに、許してやることはできないだろう。だから許してやりなさい。」
感服しました。
“許すことができる”という考え方もあるんですね。
これはほんの1例で、こんな感じのエピソードがたくさん出てきます。
お二人が結婚することによって、
信仰と文才が結びつき、
素晴らしい本がたくさん生まれてきたのだなあ、と思いました。
この本に限らず、著者の文章はとても読みやすく、
ストレスなく読み進めることができます。
しかも、心に響いてきます。

結婚編というだけあって、
夫婦の方に(クリスチャンでなくとも)、
また、これから結婚される方に、
ぜひ読んで欲しい、と思いました。
僕も、結婚している者として、
勉強になりました。



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「道ありき」を読みました

Photo
道ありき」三浦綾子(新潮社)を紹介します。
以下、「 」内は引用です。敬称は略させていただきます。
内容、結末に触れます。

さて、この本は「氷点」で有名な(僕は読んでいませんが)
三浦綾子の、若いころ(昭和21年・24歳~昭和34年・37歳)の自伝です。
彼女はその間ずっと病気で、多くを病床に臥して過ごしています。
そんな中で、ある男性に出会ってキリスト教に導かれますが、死別し、
その直後、死別した男性にそっくりの男性と出会って
再婚するまでのお話です。

教師として敗戦を迎え、それまで信じて生徒に教えてきたことが
嘘だったのか、という失望。
病の床に臥し、何もできないという絶望。
そういう虚無感から、神によって新たな道に導かれます。

この本全体が暗い筆致で、彼女の虚無感のようなものに覆われていて、
もし彼女に信仰がもたらされなかったら、どうなったのだろう、
と考えさせられます。
ただ、確かに暗いのですが、ほんの少しずつ、トンネルの出口の方へと進んでいく
彼女の様子に、読み進めずにはおられませんでした。
作者自身の未熟さ、醜さをそのままさらけ出して
描ききっているところに、彼女の祈りを感じます。
未熟でも、醜くても、信仰への道は開かれていると、
彼女が身をもって私達に伝えようとしているのではないでしょうか。
自分が何もできない、くず、塵に過ぎなくても、
神の愛を受け入れれば、その器となることができる、
ということを、思わせてくれました。

創世記 2:7 (新共同訳)
「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」

三浦綾子については、これまで読んだどの本も、
信仰の助けにならなかったものはありません。
それらも、今後紹介できたらと思います。

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