修道院

ソル・フアナ著「知への賛歌-修道女フアナの手紙」を読みました

知への賛歌――修道女フアナの手紙 (光文社古典新訳文庫) Book 知への賛歌――修道女フアナの手紙 (光文社古典新訳文庫)

著者:ソル・フアナ
販売元:光文社
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青字は引用です。敬称略で失礼します。

著者ソル・フアナ(1651-1695年)は、
メキシコ、サン・ヘロニモ修道院の修道女です。

この本には、
詩のアンソロジーと、手紙が二通収められています。
一つ目の手紙は、
ソル・フアナの世俗的活動に対する、
告解師(イエズス会士ヌニェス・デ・ミランダ神父)による非難に対する、反論。
二つ目の手紙は、
ソル・フアナが書いたが本人が知らないままに出版された
『アテネー書簡』の序文に対する、反論。
(『アテネー書簡』は、司教フェルナンデス・デ・サンタクルスが出版し、彼自身が修道女ソル・フィロテアという偽名を使って序文を書いた。その序文で、本の内容を評価しつつも、著者であるソル・フアナの世俗的活動を厳しく批判している)

訳者、旦敬介によるまえがきには、
ソル(シスターの意)・フアナは
本を読みたいがために、学問をしたいがために、作家になりたいがために、しかたなく、というよりも、きわめて戦略的に修道女になることを選んだ(p9)」。
アメリカ大陸最初のフェミニスト(p10)」といわれている、とあります。

僕はフェミニズムの歴史については全く無知なので、
ソル・フアナがどれくらい先駆者だったのか、
判断することは出来ません。
それでも本文を読むと、
当時の男社会に対する閉塞感が伝わってくる気がしました。
女というだけで、男の下にいなければならないという
バカバカしさ、虚しさが伝わってきます。

本の後半部分に、
訳者による丁寧な解説があり、
ソル・フアナがとても高く評価されています。
彼女の「大胆さ、率直さ」は、
きわめて稀有」で、「ほとんど奇跡」のようであり、「モダンな美質」だった(p222)。
彼女はあきらかに時代を超えて、新しい時代、新しい世界を開く人だった」。
と書いてあります。

しかし、
僕が本文を読んだ時には、そこまですごいとは感じることが出来ず、
訳者の熱意と、自分の無知を知らされました。
また、
訳者が言うほど、セクシーさやエロスを感じることも出来ませんでした…。
もしかするとこの本は、
女性の方が、深く理解できるのかもしれません。

いずれにしても、解説を先に読んだ方が
本文をよりよく理解できると思います。



正直に書くと、この本の中心部分ではなく、
雑学的な部分に興味を惹かれました。
例えば…。
①かつて、旧約聖書中の『雅歌』は、
 「無分別な若者を肉欲の感覚へと向かわせる機会となってはいけないから(p83)」
 「男性ですら三十歳を過ぎるまでは(p83)」読むのが禁止されていた。
②これは解説にあったのですが、
 この本が書かれた当時、
 「修道院に召使を連れて入るのは当たり前のこと(p196)」だった。
 「中には奴隷を所有している修道女(同)」もいた。
などなど…。

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「聖ベネディクトの戒律」を読みました

今日はこの本を紹介します。
敬称略で失礼します。また、赤字青字は引用です。


ポケット版 聖ベネディクトの戒律 Book ポケット版 聖ベネディクトの戒律

販売元:ドンボスコ社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

聖ベネディクトは、「六世紀イタリアの修道院長」
「その彼が当時の修道士たちのために書いた生活の指針が、この戒律です」

例えば第4章『善いおこないのための道具について』では、
「1 まず、心を尽くし、霊を尽くし、力を尽くして主である神を愛すること」
からはじまり、
「14 貧しい人たちに食事をあたえること。15 裸の者に衣服をあたえること。」
「37 眠りをむさぼらないこと。38 怠慢でないこと。39 不平を言わないこと。」
「74 そして、神の慈悲に対して決して望みを失わないこと。」

まで延々と、あるべき態度が述べられています。

他にも、
「第10章 夏期における夜間の賛美の唱え方について」
「第22章 修道士の睡眠について」
「第35章 厨房の週間担当者について」
「第43章 「神の業」あるいは食事に遅刻した者について」
等々、多くの決まりごとがあります。

以前紹介した、
「修道院」今野國雄著
によると、聖ベネディクトの会則(戒律)は、
「オリエントやアイルランド系の修道院のように徒らに厳格で孤高な修行を要求せず、修道生活の全体を中庸の精神で一貫」している、
とあります。
つまり、そんなに厳しくないからこそ、
「広く西ヨーロッパの修道院で用いられるようになった」
とのこと。
実際、戒律の最後(第73章)に、
「初心者のために記したこの最も控えめな戒律」と書いてあります。

“控えめ”とはいっても、これは共住修道士向きに書かれた本であり、
僕達がそれを実行することは困難です。
それでも、ここに書かれているキリスト教の精神は、魅力的です。

例えば、徹底的な謙遜、絶対的な服従。
自分は特別な何者かであるはず、またそうならなければならない、
と思って生きていた僕自身、キリスト教を知ったことで、
“謙遜”や“服従”を美徳として強く意識するようになりました。
実行できてはいませんが…。

戒律ではありますが、
しかも明らかに自分と関係ない戒律もありますが、
読んでいると、不思議と癒されます。
ここにある価値観に、安心するのかもしれません。

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「中世の光と石」を読みました

このあたりでも、
ようやく桜が咲き始めました。

今日はこの本を紹介します。
敬称略で失礼します。
「 」内は引用です。

P1000719_2






「磯崎新+篠山紀信 建築行脚 5 
 中世の光と石 ル・トロネ修道院」
六耀社

以前このブログでも書いた
「修道院-祈り・禁欲・労働の源流-」 今野國雄著
に紹介されていました。
近くの図書館にお願いして、
遠くの図書館から取り寄せてもらいました。

どちらかと言うと
建築関係の本だと思います。
1135年に設立された、
シトー会の修道院について、
写真と解説が半々くらいの分量です。
パッと見、何の変哲もない石で出来た、
地味な建物です。
しかも現在は使われていない、遺跡です。

しかし、
その素朴さこそが、
この建築のねらいなのだということを知ると、
とても魅力的な建築に見えてくるから不思議です。

なにしろ、磯崎新による解説がすごくいいのです。
ひとつの建築について語るために、
これだけ深く勉強するのかー、と驚きました。

特に、光と音に関する記述は、
当時の修道院と修道士の息づかいを
感じさせてくれる、素晴らしいものです。
無理して、敢えて、
要約みたいなことをしてみますcoldsweats02

生活全てにおいて厳しい戒律が定められ、
肉体的にも精神的にも
極限に近い禁欲の中に修道士は生きています。
見ることを否定し、
一切の図像を排除し、
全てが単一の素材、石でできた空間。
透過度の低い、モノクロのステンドグラス。
光は輪郭を持たず、分散する。
ほの暗いような、薄暮のような聖堂の中で、
しかし、
グレゴリオ聖歌が反響し、充満する。
「見えない神を見えないままにし」、
「可視的な世界の背後に」
神を見るために。

見えない神の声を聴くために、
視覚を可能な限り抑制する、
そのための建築です。

そういう風なことが、
名文で語られています。
ぜひ、写真と共に
味わってみてください。
古本しかないみたいなのでdespair
図書館でどうぞ。



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「修道院 -祈り・禁欲・労働の源流-」を読みました

P1000704修道院 -祈り・禁欲・労働の源流-
今野國雄著
岩波新書
以下、「 」内は引用です。敬称略。




 

歴史の教科書のような本でした。
西暦元年頃から、1965年の第二ヴァチカン公会議頃までの
修道院、修道生活の変遷を扱っています。
新書としては扱う時代が幅広く、
どうしても個々の出来事に
紙数を割くわけにはいかないのでしょう、
少ししか読んでないのに、本の上では
どんどん時代が過ぎていきます。

地名や人名などの固有名詞が多く、
本気で理解しようとすると、
結構大変だろうな、と思います。

この本自体が、
歴史をまとめたものなので、
それをさらにまとめるのは、
難しいのでできません…。

まとめませんが、
修道院の歴史は、
まじめな人たちが修道生活を始めて、
その労働が利益を生み、
お金が余って、
規律が緩みだし、
退廃した頃に
改革者が現れて再興する、
“堕落と改革”
の繰り返しのように感じました。


印象的だった部分は…

①「聖アウグスティヌス会則」や
 「聖ベネディクト会則」などの内容。
②「ローマ・カトリック教会と呼びうる実態の存在しなかった五世紀」の
 アイルランド修道士達の伝道。
③「十九世紀の中ごろ」まで「狂人扱い」され「多くの知識人から」「無視され」「軽蔑されていた」
 フランチェスコ(派)。
④二人の「戦闘的な修道士」、
 ルターとイグナティウス・デ・ロヨラ
 それぞれの、「キリスト教倫理の転生を求めた」改革。

③の、フランチェスコの「1221年の会則」からの
引用が素敵だったので、孫引します。
「兄弟たちへの諭し」と題された、会則第22章の冒頭部分で、
『汝の敵を愛せよ』というイエスの言葉を引用し、
次のようにうたわれているそうです。
「われわれに困難、苦悩、屈辱、不正、悲嘆、虐待、殉教および死を理由なしに科するものはすべてわれわれの友であり、われわれは彼らを心から愛さなければならない。というのは、こうした人々こそわれわれに永遠の命をもたらしてくれるからである」
ここまできたら、
恐れるものは何もないだろうな。


この本は、
教科書のようですが(しつこい…)、
選ばれた言葉による
簡潔な文体で、
僕は好きです。
また、情報量が多く、
さらに知りたいと思わせてくれることが
たくさんありました。
例えば、上記の②にあたる、
ボッビオの修道士ヨナスによる、「コロンバヌス伝」
が面白そうだ、とか、
修道院の会則を読んでみたい、とかです。
テゼ共同体については、
この本で知り、実際に何冊か読み
糧とさせてもらいました。

僕が言うのはおこがましいですが、
うまくまとまった、
良書だと思います。
新品がないみたいなので、
図書館か古本で。






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「天使の聖母 トラピスチヌ修道院」

一昨日からの雪が
降り積もり、
世界は真っ白。
…静寂です。
ハレルヤ。

P1000646 写真集を紹介します。
天使の聖母 トラピスチヌ修道院
野呂希一 写真
青せい社
…“せい”=“草かんむりに青”です、漢字がでません…。



図書館で見つけ、
気に入ったので、
思い切って買ってしまいました。
函館にある修道院の生活を写した写真集です。
「厳律シトー修道会」に属する修道院、だそうです。

写真を文章で語ることには
無理があると思いますけど、
とにかく、心が洗われます。

写真を通して、
修道院の空気、
シスター達の祈りが
こちらまで伝わってきます。

きれいに掃除された修道院で、
祈り、
食事をし、
勉強し、
働いている
シスターの姿に、
なぜだか励まされます。

特に、
畑や牧場で働いている
姿が美しく、
僕も頑張って働こう、
という気になりました。
静かに、祈りの中で、
黙々と働くことが、
こんなにも美しいのか、と思います。

この辺で、
僕の言葉で表現するのは限界なので、
あとは実際に見てください。

中の写真をここに載せるのは
マズイでしょうから、
P1000651_2 裏表紙の写真を。











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