小説以外(海外)

ジューン・スプリッグ著「シンプル ギフト」を読みました

すごく久しぶりに更新します。
今日はこの本を紹介します。

Simple Gifts: Lessons in Living from a Shaker Village (Vintage) Book Simple Gifts: Lessons in Living from a Shaker Village (Vintage)

著者:June Sprigg
販売元:Vintage
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ずっと、これを読んでいました。
英語だから、一日数ページしか読めなかった…。

この本は、1972年の夏に、
カンタベリーのシェーカー村で、
その建築や文化、生活を案内するツアーガイドとして
著者がアルバイトした3ヶ月間のことを、文章にしたものです。

当時まだ、そこでは数人のシスターが
実際に生活しており、
著者は彼女達と生活を共にしました。

そのシスター達の生活、性格などを紹介すると同時に、
シェーカーの歴史、人物、文化などにも触れており、
シェーカー入門的なエッセイになっています。

大人への入り口に立っていた、当時19歳の著者は、
シェーカー村での3ヶ月間、
歳を重ねたシスター達と過ごすことで、
学校とは違う体験をし、
その後の人生に大きな影響を与えられます。

…と、そんな感じのことが書いてあったと思います。
英語なので、理解していない部分がたくさんありますが…。
この本を読む前に、
同じ著者の、
SHAKER - LIFE,WORK,AND ART」という、
写真が中心の本を読みました。
先に写真をたくさん見ていたことが、
今回の「シンプル ギフト」を理解する助けになりました。

今回、読み終えるのに時間がかかりましたが、
「続・豚の死なない日」を原書で読んだ時と同様、
その本の世界に浸る、という、
遅読の楽しさを知ったような気がします。

でも、疲れました…。
アルクのホームページの辞書に、
大変お世話になりました。

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ティム・ゲナール「3歳で、ぼくは路上に捨てられた」

今日はこの本を紹介します。
青字は引用です。

3歳で、ぼくは路上に捨てられた Book 3歳で、ぼくは路上に捨てられた

著者:ティム・ゲナール
販売元:ソフトバンククリエイティブ
Amazon.co.jpで詳細を確認する

一つのジャンルと言ってもいい、
“不幸から立ち直った半生の自伝”です。
元不良、元ヤンキー、元落第生、元ヤクザ、元ヤクザの妻、等々
いろいろありますよね。
そういう本にはあまり興味をそそられないのですが、
この本は、古本屋で妻が偶然見つけたので、読んでみました。
このジャンルで大切(?)なことは、
前半の不幸部分が、どれだけ不幸か、
どれだけとんでもない人生だったか、
ということでしょう。
それが絶望的であればあるほど、
後の立ち直りが鮮やかに見えます。
そういう意味では、この本はかなり鮮やかです。
帯からそのまま引用します。
母親の手によって電柱に縛り付けられ捨てられた3歳。
 父親に殴られ全身骨折。意識を失った5歳の誕生日。
 障害を負ったまま2年半の闘病生活を終えた7歳。
 病院に閉じこめられ、つらい思い出と闘った8歳。
 引き取られた家でも虐待され2度目の自殺を図った9歳。

帯はここまでですが、まだまだ不幸は終わりません。
少年院での教官による暴力とか、
少年院から脱走してホームレスになった12歳の時、
60歳の男に強姦されたり…。
そして、著者ティム・ゲナールは、
犯罪を犯す側、暴力を振るう側になっていきます。

かなりマッチョで喧嘩っ早い彼を、
その外見にとらわれず受け入れる人々に感動しました。
彼に最初にキリスト教を伝えた青年、ジャン=マリー。
彼をそのまま受け入れた、
(ジャン・ヴァニエとともに「ラルシュ(箱舟)」を創設した)
トマ・フィリップ神父。
彼の誕生日に、二日かけてタイプした5行の手紙をプレゼントした、
重度の障害を持つ少年フレデリック。
そして、彼に愛を告白した、
上流階級のお嬢さん」マルティーヌ(現妻)。
その他たくさんの人びとに、彼は何度も癒されます。

226ページの、
自分が誰かから無償の愛を受けたことに気づいたとき、人は絶望から解き放たれる。
という一文に、
この本が要約されていると思います。

「無償の愛」と言うのは簡単ですが、
実際に行なうのはおそろしく難しいことだと思います。
でも、
それを実行している人たちが実際にいるということが、
とても嬉しく、希望をもらいました。

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ブライアン・グリーン「宇宙を織りなすもの - 時間と空間の正体」

お久しぶりです。
今日はこの本を紹介します。


宇宙を織りなすもの――時間と空間の正体 上 Book 宇宙を織りなすもの――時間と空間の正体 上

著者:ブライアン・グリーン
販売元:草思社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 

宇宙を織りなすもの――時間と空間の正体 下 Book 宇宙を織りなすもの――時間と空間の正体 下

著者:ブライアン・グリーン
販売元:草思社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

物理学者・超ひも理論の研究者である著者による、
空間と時間についての考察です。
空間、時間とは何か、という問題はすなわち、
宇宙が本当はどんな姿をしているのか、
宇宙はどんな風に始まったのか、という問題になります。
その問題を、
相対性理論や量子力学、そしてひも理論を通して追求していくと、
不思議な、驚きに満ちた時空の姿が現れてきます。
僕たちが今、普通に感じている、この空間、時間を拡大していくと、
“普通じゃない何か”が見えてくることを、この本は教えてくれます。

この本には数式は出てきませんが、
かなり難しかったです。
夢に、「斥力」とか「ヒッグス粒子」がでてきて、
理解できずにうなされました…。
難しいのに、面白かった、不思議な本です。
全てを理解することは出来ないとしても、
数学のできない僕のような人間が、
最先端の物理学を垣間見ることができる、
それだけでも、読む価値はあったと思います。

内容をまとめる自信がないので、
詳しくは本を読んでください…。
草思社を応援するためにも、
“買って”読んでください。
上下巻で約800ページ…少し長めですが…。

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ミッチ・アルボム「モリー先生との火曜日」を読みました

普及版 モリー先生との火曜日 Book 普及版 モリー先生との火曜日

著者:ミッチ・アルボム
販売元:NHK出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する


妻が押入れから引っ張り出して読んでいたのを、
僕も再読しました。
日本初版からすでに10年が経つんですね。
いまさらかもしれませんが、紹介します。
青字は引用です。

難病(筋萎縮性側索硬化症=ALS)にかかり、
死期が近いことを確信しているモリー先生。
大学時代、モリー先生(社会学)に指導を受け、
卒業後はスポーツジャーナリストとして
猛烈に働いてきた著者ミッチ・アルボム。
モリー先生がテレビに取り上げられたことで、
交流が再開し、火曜日ごとに話をした、
その話の内容をまとめたものです。

この本の面白いところは、
著者(当時37歳)自身の、
何かに追いたてられるかのような、
仕事漬の生活に対する内省が、
同時に語られていることだと思います。
学生の頃は
金持ちは悪者、ワイシャツにネクタイは囚人の服、自由のない人生はろくな人生じゃないと思っていた。さっとバイクにまたがって、顔に風を受け、パリの街やチベットの山の中をすっとばしたいと思っていた。何があったのか?(p38)」
かつては、絶対にかねのためには働くまいと心に誓ったこともある。それから、平和部隊に加わろうとか、美しい、霊感を沸きたたせるような場所に住もうとか。
にもかかわらず、デトロイトに住んでもう十年になる。仕事場も同じ、銀行も同じ、髪を切るのも同じ店。歳は三十七歳。大学時代よりはてきぱきと働けて、コンピューターやモデム、携帯電話から離れられなくなっている。金持ちのスポーツマンの記事を書く。 (略) 毎日毎日時間はふさがっている。しかし、その多くに満ち足りた気持ちはない。
(p39)」

モリー先生との再開を通して、
仕事漬の時代を終わらせ、
大切なものを再確認していく
著者の心が、さわやかでした。

機械につながれて生きることを選ばなかった
モリー先生の言葉は、本当に重い。
死を確信しているが故の、
かけがえのない、大切な瞬間。
それがそのまま、
今の自分にも流れている時間だということに
気づかされます。

でもたぶん、この感動も、
すぐに忘れてしまいます…。
再読だったのに新鮮だったから…。

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金子晴勇「宗教改革の精神 - ルターとエラスムスの思想対決」を読みました

宗教改革の精神 - ルターとエラスムスの思想対決
金子晴勇 著
講談社学術文庫

青字は引用です。敬称略で失礼します。

穏健でリベラル」な「国際的知識人」として名を馳せたエラスムス(p14)。
信仰の勇気をふりしぼって教権に屈することなく戦った(p58)」ルター。
二人の自由意思論争をとおして宗教改革の精神を解明する。

僕自身が理解した内容を、大雑把にまとめてみます。

【エラスムス】
人間の自由意思を信頼する。
現実の生活が罪深いものだとしても、人間は自ら、善悪を選択している。
自分次第で、善を選択することができる。
人間は、自分で自分を律する(自律する)ことができる。
自己を確立すること」は「最善のこと」(p115)。
神は人間を援助する立場であり、
「(主体である)自由意志に共働する恩恵(p149)」として働く。

エラスムスの段階ではまだ
神中心のヒューマニズム」だが、後に、
人間中心の近代的ヒューマニズム」があらわれ、現代の
人間を神とみたてる」「無神論的ヒューマニズム」にまで繋がっていく(p75)。

【ルター】
人間に自由意思はあるが、現実的に、それは罪とともにある。
自由意思は、神を排除する、自己中心主義と重なっている。
自己を確立し自由を主張することはエゴイズム(p116)」であり
自己のみに固執する高慢(p114)」という罪である。

罪と深く結びついている自由意思を捨て、
神の奴隷となることで、「罪の『奴隷』から開放される(p116)」こと、
それが、「キリスト者の自由」である。
自らを捨てて、罪から自由となったキリスト者は、
『僕』として愛の奉仕に生きる(p116)」。
エラスムスとは逆に、ルターは、
神の「恩恵に共働する人間を説いている。行為する主体はもはや自由意志ではなく、神の恩恵である(p149)」。

信仰によって現実を生きることから、
『世俗的職業こそ召命にもとづく使命である』という職業観が生まれ、近代社会の形成に大きな役割を果たしたプロテスタンティズムの職業倫理が形成(p45)」されていく。

つまり、
エラスムスは自由意思を信頼、肯定した。
ルターは自由意思が罪と共にあるとして、否定する。
ルターは、自己の自由を神に委ねて、信仰により罪から開放されよ、と言う。


…この辺でやめておきます。
もっとたくさんのことが書いてあるような気もしますが…。

この本の原本は1977年刊行。文庫本の初版は2001年です。
地球温暖化に加えて、
世界経済、日本経済が大変なことになっている今、
無神論的ヒューマニズム、
単なる自己肯定の行き着く先は
人間の自己破壊である、
というこの本に、考えさせられました。

ここでは触れませんでしたが、
ドストエフスキーは、
ルターと共通する「良心」を「知っている」として、
かなり紙数が割かれています。
ドストエフスキーが売れている現象を理解する
鍵となるかもしれません。

最後に、結びの文章に
とても現代的なものを感じたので、引用します。
宗教改革の現世肯定はルネサンス的享楽のためではなく、神の栄光をあらわす実践に向かうゆえに、それは禁欲的職業活動としてあらわれている。宗教改革の社会的生産力はここに発揮されてくるが、宗教のもつ文化を創造する力を、文化を滅ぼす力が満ちている現在、もう一度想起する必要があろう(p230)」

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ソル・フアナ著「知への賛歌-修道女フアナの手紙」を読みました

知への賛歌――修道女フアナの手紙 (光文社古典新訳文庫) Book 知への賛歌――修道女フアナの手紙 (光文社古典新訳文庫)

著者:ソル・フアナ
販売元:光文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

青字は引用です。敬称略で失礼します。

著者ソル・フアナ(1651-1695年)は、
メキシコ、サン・ヘロニモ修道院の修道女です。

この本には、
詩のアンソロジーと、手紙が二通収められています。
一つ目の手紙は、
ソル・フアナの世俗的活動に対する、
告解師(イエズス会士ヌニェス・デ・ミランダ神父)による非難に対する、反論。
二つ目の手紙は、
ソル・フアナが書いたが本人が知らないままに出版された
『アテネー書簡』の序文に対する、反論。
(『アテネー書簡』は、司教フェルナンデス・デ・サンタクルスが出版し、彼自身が修道女ソル・フィロテアという偽名を使って序文を書いた。その序文で、本の内容を評価しつつも、著者であるソル・フアナの世俗的活動を厳しく批判している)

訳者、旦敬介によるまえがきには、
ソル(シスターの意)・フアナは
本を読みたいがために、学問をしたいがために、作家になりたいがために、しかたなく、というよりも、きわめて戦略的に修道女になることを選んだ(p9)」。
アメリカ大陸最初のフェミニスト(p10)」といわれている、とあります。

僕はフェミニズムの歴史については全く無知なので、
ソル・フアナがどれくらい先駆者だったのか、
判断することは出来ません。
それでも本文を読むと、
当時の男社会に対する閉塞感が伝わってくる気がしました。
女というだけで、男の下にいなければならないという
バカバカしさ、虚しさが伝わってきます。

本の後半部分に、
訳者による丁寧な解説があり、
ソル・フアナがとても高く評価されています。
彼女の「大胆さ、率直さ」は、
きわめて稀有」で、「ほとんど奇跡」のようであり、「モダンな美質」だった(p222)。
彼女はあきらかに時代を超えて、新しい時代、新しい世界を開く人だった」。
と書いてあります。

しかし、
僕が本文を読んだ時には、そこまですごいとは感じることが出来ず、
訳者の熱意と、自分の無知を知らされました。
また、
訳者が言うほど、セクシーさやエロスを感じることも出来ませんでした…。
もしかするとこの本は、
女性の方が、深く理解できるのかもしれません。

いずれにしても、解説を先に読んだ方が
本文をよりよく理解できると思います。



正直に書くと、この本の中心部分ではなく、
雑学的な部分に興味を惹かれました。
例えば…。
①かつて、旧約聖書中の『雅歌』は、
 「無分別な若者を肉欲の感覚へと向かわせる機会となってはいけないから(p83)」
 「男性ですら三十歳を過ぎるまでは(p83)」読むのが禁止されていた。
②これは解説にあったのですが、
 この本が書かれた当時、
 「修道院に召使を連れて入るのは当たり前のこと(p196)」だった。
 「中には奴隷を所有している修道女(同)」もいた。
などなど…。

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村松剛著「ジャンヌ・ダルク」を読みました

今日はこの本を紹介します。
青字は引用です。


Book ジャンヌ・ダルク―愛国心と信仰 (中公新書 (138))

著者:村松 剛
販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

フランスの片田舎に育った二十歳にもならない娘が、ひとりで王宮に行って王太子とその幕僚とを説得し、許されて軍の先頭に立った。百姓娘は将軍たちを叱咤して兵をすすめ、常勝のイギリス軍は崩壊した(pⅱ)」
その歴史的事実を再現する。

ジャンヌ・ダルクは、
イギリスに攻め込まれている、
戦乱の中世フランスに生まれ、
ランスでのシャルル王太子の戴冠に大きな役割を果たした。
栄光につつまれたとたんに政争に巻きこまれ、火刑に処せられる。

推定1412年1月誕生。
初めてシャルル王太子をたずねたのが1429年2月、17歳。
オルレアンでの勝利が1429年5月。
1431年5月火刑、19歳。

ジャンヌは、死後1456年7月、復権されたが、
救国の殉教者として大きく取り上げられたのは、19世紀。
ヨーロッパで民族主義が強かった時代に、
フランスこそが神聖なのだ、
というジャンヌの信条が脚光を浴びた。
そしてローマ・カトリックによっては、
1920年に聖者とされた。


ジャンヌは、
フランスにとっては神の使者であり、
イギリスにとっては魔女でした。
歴史的事実としてはもちろん、
魔女ではありません。
そして、神の使者でもない。
王太子派、反イギリス派の村に生まれた、
信心深い単なる一人の女性でした。

その彼女が成し遂げたことに、
信仰の持つ大きな力を感じます。
と同時に、
お告げを伴う熱狂的な信仰に、
不安も感じます。

フランスのためではなく、
日本のためではなく、
武力によってではなく、
全世界の平和のために
信仰を用いたい、と思う。
それは、
僕が戦争を知らず、
テロの恐怖も知らず、
平和に生きているからこそ言える、
甘い考えなのかもしれません。
しかし、
平和の甘さを知る
数少ない国の一人として、
その甘さを守っていくことが大事だと思います。

機会があったら、
彼女の異端裁判について、
もう少し詳しいものを読んでみたいと思いました。

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「無名の順礼者」を読みました

あけましておめでとうございます。
雪最高!

今年最初の一冊です。青字は引用です。

Book 無名の順礼者―あるロシア人順礼者の手記 (ヘーシベック文庫)

販売元:エンデルレ書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

訳者であるローテル神父の「まえがき」によると、
元来、順礼者とは、
来世における永遠の生命の世界を、自分の真の故郷と確信するところから、この世における自分を一種の旅びと、他国をさすらう人と考え、そのために定住の安楽さや住みよい家の快適さを捨てて順礼生活を選び、その旅の生活にともなう無数の不自由や艱難辛苦に耐え忍びながら、まっすぐに天国に向かっての努力を続ける人たち(p3)」」です。
著者はその順礼者であり、
その体験、見聞が綴られています。

主に、二つのことが重点的に語られます。

①テサロニケ前書5章17節「絶えず祈りなさい」の実行。
 イエズスへの祈り=「主イエズス・キリスト、われを哀れみたまえ」
 を、心臓の鼓動にあわせ、また、呼吸に合わせて
 常にくり返す、ということにより、
 深い喜びへと導かれることが示されます。

②『修徳の実践』という本の称揚。
 この本は「聖書の奥義に至る道(p46)」であり、
 この本により、神のみ言葉がよく分かるようになる。
 著者である順礼者は、この本を、何度も、
 しつこく、非常に高く評価しています。

以上のことに加えて、著者の順礼の様子が描かれており、
それも興味深いです。

印象深かった言葉を引用します。
『修徳の実践』中の、ニキタ・ステファタの言葉…
正しい祈りを学び、また神の愛に生きる人は、善人悪人を見分ける資格を失う。そういう人は、善人の上にも悪人の上にも太陽を照らせ雨を降らしてくださる神にならって、善人をも悪人をも一様に愛している(p137)」


ローテル神父はあとがきで、
翻訳当時のソ連における、
キリスト教迫害を深く心配されています。
ソ連が崩壊した今、何を思われるのでしょう。

機会があったら、
修徳の実践―心の祈り(イエスへの祈り)に関する著述 (ヘーシベック文庫)
も読みたいです。

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マックス・ルケード著「イエスのように」を読みました

本格的な冬になってきました。

寒いけど、嬉しいです。

 

今日はこの本を紹介します。

敬称略で失礼します。青字は引用です。

 

 

イエスのように Book イエスのように

著者:マックス ルケード
販売元:いのちのことば社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 

あなたの創造主は、あなたをキリストの姿に作り変えようとなさっている。神はあなたがイエスのようになることを望んでおられるのだ。これが神の願いであり、この本のテーマである。(P11)」

神は、ありのままのあなたを愛しておられるが、あなたをずっとそのままにしてはおかれない。神はあなたがイエスのようになってほしいと願っておられるのだ。(P18)」

 

イエスのようになるために、

イエスの心について考えてみよう、という本です。

 

ゆっくり味わって読むことをお勧めします。

 

時と場合によって、感じることは違うと思いますが、

僕の心に残ったのは、「第9章-心の温室」でした。

 

人は自分が種を蒔いたものを刈り入れ、植えつけたものを収穫するのだと、誰でも知っている。(P166)」

あなたの想いを種だと考えてみよう。ある想いは花になり、ある想いは雑草になる。希望の種を蒔けば、プラス思考の花が咲く。疑いの種を蒔けば、不安の実がなる。『人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります』(ガラテヤ人への手紙6章7節)(P167)」

ほかのことを管理するように、自分の想いについても気を配るべきではないだろうか。(P170)」

 

引用ばかりですいません…。

 

こういう信仰本は、

実際に読み、ゆっくり考えてこそ、

価値があると思います。

 

ただ、翻訳の日本語に少し違和感がありました。

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G.タイセン著「新約聖書-歴史・文学・宗教-」を読みました

新約聖書―歴史・文学・宗教 Book 新約聖書―歴史・文学・宗教

著者:G. タイセン
販売元:教文館
Amazon.co.jpで詳細を確認する


G.タイセン著「新約聖書-歴史・文学・宗教-」を読みました。

僕にとっては、少し難しかったです。

何というか、大学の教科書で使われそうな本でした。

青字は引用です。

 

 

この本によると、

新約聖書はローマ帝国の内部に存在した一つの小さな宗教的サブカルチャーの文書を集めたもの(P7)」

であり、

このサブカルチャーはユダヤ教に対する新しい解釈として成立した(P7)」。

その「新しい解釈の原因およびきっかけとなった(P7)」のが「ユダヤ人霊能力者ナザレのイエスの活動(P7)」だった。

 

イエスの「追随者たちが」、イエスについての「文書を著し、それらの文書から一つの新しい正典を結集した(P15)」。

その際、旧約聖書がモデルとされたはずだが、奇妙なことに、

新約聖書の、「(四つの)福音書と手紙の蒐集(P16)」、という二つの文学類型は、旧約聖書にはない。

 

ユダヤ教と非ユダヤ教的文化の境界上に位置する(P17)」“福音書”という様式、

福音書よりも先に普及していた(P17)」“手紙”という様式、

この二つの様式の起源を手がかりとして、

それらが“正典”に採用された理由、経緯、環境を論じる。

 

目次によると、内容の展開はこうです。

① ナザレのイエス本人の言動

② 最初期のイエス伝承。語録資料

③ パウロ。本人の手紙

④ 共観福音書と使徒言行録

⑤ 偽名による手紙

⑥ ヨハネ文書=「福音書、手紙、黙示録」

 

印象に残ったことを書きます。

●偽名による手紙、特に牧会書簡について(P205)。

パウロの真筆の手紙の言うところと直接対立関係に入ることになるまさにそのところで、著者はパウロをして「わたし」形で語らせること」。

つまり、彼(偽作者)は知っているのである。これらの点については、パウロの手紙の本文に対して自分が新たな解釈を施すということでは人を説得できないということ、むしろパウロ自身がかつて自分の言ったことを無効宣言した(かのように書く)ことによってしかそうできないことを。

パウロが『自分で自分の書いた本文を指示しているかのごとき見せかけ』(A.メルツ)の中でも最も重要な二箇所」が以下です。

「テモテへの第一の手紙」2章12節、

婦人が教えたり、男の上に立ったりするのを、わたしは許しません。むしろ、静かにしているべきです

5章14節、

だから、わたしが望むのは、若いやもめは再婚し、子供を産み、家事を取りしきり、反対者に悪口の機会を一切与えないことです

ここでは、「女たちを教会の指導態勢から遠ざけておくこと」が重要な関心事となってることがわかります。

牧会書簡がなければ新約聖書ははるかに女性に対して友好的なものとなるだろう」。

 

●パウロ本人の思想と後継者による修正(P255)。

その第一世代において、すでに西方へと急激に伝播していったキリスト教を特徴づけていたのは、

原始キリスト教を代表するとは言いがたい一人のアウトサイダー、つまり、パウロだった。

彼の後に続いた原始キリスト教の著述家たちは、この際立ったアウトサイダーの影響を修正し、その優勢さを相殺することに精を出した。

それは

パウロの教え子たちの内部での自己修正」であり、また

東方からやって来た二つの新しい刺激、つまり、ヨハネ文書の原始キリスト教と倫理的な変容を遂げた新しいユダヤ人キリスト教」に因る。

 

●「社説」としての「ペテロの第二の手紙」に見る、正典結集の動機(P266)。

「ペテロの第二の手紙」は新約聖書の中で最も遅く、

正典結集に比較的近い時代」に成立しており、

正典新約聖書のすべての部分(福音書、パウロの手紙、公同書簡)をすでに前提している。

そこに見られる正典結集の動機とは、

①「聖書の霊感説を確かなものとし、その解釈を統制」すること。1章20節、3章15節~16節。

②「異端説について警告」すること。

 

●正典結集の根本動機(P270)。

原始キリスト教徒には、彼らの行動と体験を導く、共通した動機があり、

それが正典を結集する信仰を束ねている。

その「根本動機」が、一覧表として本の最後に載っています。

それは14あります。うち二つを引用します。

(1)創造の動機。世界は神の知恵によって創造された。その知恵は(世界の)信じがたいような構造に現れると同時に、その反対物の中に隠れることもある。ひいては十字架の「愚か」の中にまで神の知恵は隠されている。

(14)義認の動機。現存在の正当性は、生の存在そのものと同じように、根拠づけることができない。それは無からの創造なのである。これを人間は、ちょうど生理的な生存がそうであるのと同じように、受容的に受け取る他はない。人間は自分で自分を創造したのではない。義認の可能根拠は神がキリストにおいて遂行した新しい創造の行為である。

歴史的状況とともに、これらの「根本動機」こそが、

正典新約聖書の結集をもたらしたのであり、

キリスト教の文書に備わっている「『霊』の刻印」と言える。


新約聖書全体にわたる論考であり、概論です。

その背後には膨大な知識の裾野が広がっています。

本に書かれているのはその頂上部分だけで、

基礎知識の無い僕には何が正しいのかも分からず、

ただフンフンと読むだけです。

しかし、読まなければ、分かることは永遠に無い、という気持ちで読みました。

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