G.タイセン著「新約聖書-歴史・文学・宗教-」を読みました。
僕にとっては、少し難しかったです。
何というか、大学の教科書で使われそうな本でした。
青字は引用です。
この本によると、
「新約聖書はローマ帝国の内部に存在した一つの小さな宗教的サブカルチャーの文書を集めたもの(P7)」
であり、
「このサブカルチャーはユダヤ教に対する新しい解釈として成立した(P7)」。
その「新しい解釈の原因およびきっかけとなった(P7)」のが「ユダヤ人霊能力者ナザレのイエスの活動(P7)」だった。
イエスの「追随者たちが」、イエスについての「文書を著し、それらの文書から一つの新しい正典を結集した(P15)」。
その際、旧約聖書がモデルとされたはずだが、奇妙なことに、
新約聖書の、「(四つの)福音書と手紙の蒐集(P16)」、という二つの文学類型は、旧約聖書にはない。
「ユダヤ教と非ユダヤ教的文化の境界上に位置する(P17)」“福音書”という様式、
「福音書よりも先に普及していた(P17)」“手紙”という様式、
この二つの様式の起源を手がかりとして、
それらが“正典”に採用された理由、経緯、環境を論じる。
目次によると、内容の展開はこうです。
① ナザレのイエス本人の言動
② 最初期のイエス伝承。語録資料
③ パウロ。本人の手紙
④ 共観福音書と使徒言行録
⑤ 偽名による手紙
⑥ ヨハネ文書=「福音書、手紙、黙示録」
印象に残ったことを書きます。
●偽名による手紙、特に牧会書簡について(P205)。
「パウロの真筆の手紙の言うところと直接対立関係に入ることになるまさにそのところで、著者はパウロをして「わたし」形で語らせること」。
「つまり、彼(偽作者)は知っているのである。これらの点については、パウロの手紙の本文に対して自分が新たな解釈を施すということでは人を説得できないということ、むしろパウロ自身がかつて自分の言ったことを無効宣言した(かのように書く)ことによってしかそうできないことを。」
「パウロが『自分で自分の書いた本文を指示しているかのごとき見せかけ』(A.メルツ)の中でも最も重要な二箇所」が以下です。
「テモテへの第一の手紙」2章12節、
「婦人が教えたり、男の上に立ったりするのを、わたしは許しません。むしろ、静かにしているべきです」
同5章14節、
「だから、わたしが望むのは、若いやもめは再婚し、子供を産み、家事を取りしきり、反対者に悪口の機会を一切与えないことです」
ここでは、「女たちを教会の指導態勢から遠ざけておくこと」が重要な関心事となってることがわかります。
「牧会書簡がなければ新約聖書ははるかに女性に対して友好的なものとなるだろう」。
●パウロ本人の思想と後継者による修正(P255)。
その第一世代において、すでに西方へと急激に伝播していったキリスト教を特徴づけていたのは、
「原始キリスト教を代表するとは言いがたい一人のアウトサイダー、つまり、パウロだった。」
「彼の後に続いた原始キリスト教の著述家たちは、この際立ったアウトサイダーの影響を修正し、その優勢さを相殺することに精を出した。」
それは
「パウロの教え子たちの内部での自己修正」であり、また
「東方からやって来た二つの新しい刺激、つまり、ヨハネ文書の原始キリスト教と倫理的な変容を遂げた新しいユダヤ人キリスト教」に因る。
●「社説」としての「ペテロの第二の手紙」に見る、正典結集の動機(P266)。
「ペテロの第二の手紙」は新約聖書の中で最も遅く、
「正典結集に比較的近い時代」に成立しており、
「正典新約聖書のすべての部分(福音書、パウロの手紙、公同書簡)をすでに前提している。」
そこに見られる正典結集の動機とは、
①「聖書の霊感説を確かなものとし、その解釈を統制」すること。1章20節、3章15節~16節。
②「異端説について警告」すること。
●正典結集の根本動機(P270)。
原始キリスト教徒には、彼らの行動と体験を導く、共通した動機があり、
それが正典を結集する信仰を束ねている。
その「根本動機」が、一覧表として本の最後に載っています。
それは14あります。うち二つを引用します。
「(1)創造の動機。世界は神の知恵によって創造された。その知恵は(世界の)信じがたいような構造に現れると同時に、その反対物の中に隠れることもある。ひいては十字架の「愚か」の中にまで神の知恵は隠されている。」
「(14)義認の動機。現存在の正当性は、生の存在そのものと同じように、根拠づけることができない。それは無からの創造なのである。これを人間は、ちょうど生理的な生存がそうであるのと同じように、受容的に受け取る他はない。人間は自分で自分を創造したのではない。義認の可能根拠は神がキリストにおいて遂行した新しい創造の行為である。」
歴史的状況とともに、これらの「根本動機」こそが、
正典新約聖書の結集をもたらしたのであり、
キリスト教の文書に備わっている「『霊』の刻印」と言える。
新約聖書全体にわたる論考であり、概論です。
その背後には膨大な知識の裾野が広がっています。
本に書かれているのはその頂上部分だけで、
基礎知識の無い僕には何が正しいのかも分からず、
ただフンフンと読むだけです。
しかし、読まなければ、分かることは永遠に無い、という気持ちで読みました。
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